医療への理解と裁判
医療に従事していれば、患者から訴えを起こされることもあります。
理不尽な訴えであっても、裁判官が理解してくれるのであれば、大事には至りません。
ところが、残念なことに裁判官を含め法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)は医療については素人です。
そのため、医療従事者からみれば、一笑に付されるような「医学的知見」であっても、まことしやかにまかり通ってしまう不思議な現象が起きることがあります。
その結果、科学的には全くあり得ない結論が、裁判で認定されてしまうこともあるのです。
逆に、患者側からすれば、明らかに医療過誤が疑われる事案であるにも関わらず、医療側から、難解な医療文献や医学的意見書が提出され、裁判官が混乱してしまい、結局は良く分からないということで立証責任を負っている患者側が敗訴することも珍しくありません。
こういった現象が起きないようにするためには、医療を分かり易く説明する必要があります。
病因・病態・症状・治療方法などについて突然、難しい医療用語で説明を始めたり、医学的意見書を提出したりしても、なかなか理解してもらえません。
理解して貰えないということは、法律の世界では、理解して貰えない側の敗訴ということにつながります。
裁判官に理解してもらうためのポイント
では、裁判官が理解しやすいように説明するにはどうしたら良いでしょうか。
ここでは、次の3つのことに留意することが大切です。
1)複数の疾患例を比較検討する
一つは、ある特定の疾患が問題となったときは、その疾患についてだけ説明するのではなく、その疾患と似て非なる複数の疾患を例に挙げ、それらの共通点と相違点を比較しながら、問題となっている疾患を明確にすることです。
例えば、頭部外傷の一つである急性硬膜下血腫の治療方法について医療過誤が争われたとします。
このとき、患者側が、直ちに開頭血腫除去手術を実施しなかったことに過失があったと主張し、他方、医療側は、直ちに外科手術すべき事案ではなく経過観察で良かったと主張して争いになったとします。
この場合、裁判官からすれば、そもそも、「急性硬膜下血腫」と言われても、それ自体がどのような疾患であるのか、基本のイメージが医療について素人である裁判官の頭の中にはありません。
ですから、まずは、その疾患がどのようなものであるか、分かり易く説明することから始めなければなりません。
例えば、以下のように説明します。
外力による頭部外傷には、
① 急性硬膜「外」血腫
② 急性硬膜「下」血腫
③ 外傷性くも膜下出血
④ 脳挫傷
⑤ びまん性軸索損傷
などがあります。
これらのほとんどはは、頭部に外力が加わって脳が損傷するという点で共通します。
しかし、①から④は、血管が破綻して血腫(大きな血の塊)が形成されるもの、⑤は血管が破綻せず脳の神経繊維が切断離断されるものという点で違いがあります。
(なお、①から④の違いは、破綻する血管の種類と破綻する部位の違いです)
一般には血腫が形成され、それが増大すると脳幹を圧迫するので生命に危険が及ぶことになります。
これに対し⑤では血腫が形成されるわけではありませんので、直ちに生命に危険が及ぶわけではありませんが、神経線維が切断離断されますから(神経線維は一旦、障害されると修復しません)意識が回復しても、高次脳機能障害などの重篤な後遺症が残ることが高くなります。
ですので、急性硬膜下血腫では、速やかに開頭血腫除去手術を行わなければならなかった(患者側主張)、あるいは、今回の患者のケースでは出血が微量で血腫が広がっておらず脳幹を圧迫するに至っていないので経過観察で足りるはずだ(医療側主張)などと説明することになり、こういった説明であれば、裁判官もイメージがわきやすくなります。
この場合、裁判の争点は、出血が微量だったか、血腫による脳幹圧迫の徴候があったかどうかに絞られることになるでしょう。
比喩を使って説明する
留意すべき2点目は、できるだけ比喩を使って説明することです。
医療側からすれば、当然と思われている概念であっても、法曹三者に意外と誤解されている例があります。
「凝固系の活性が低下」しているから、血管が破綻しやすいと勘違いしている法曹がいます。
出血しやすい体質、血が止まりにくい体質ということは、血管が破綻しやすい体質なのだろうと勝手に頭の中で切り替えてしまうのです。
こうしたとき、凝固系の活性低下と血管破綻とは全く異なるといくら声高に唱え、医学的意見書を書いても、「凝固系の活性低下」という言葉自体がなじみがないので、なかなか理解してくれません。
このような時は、日常的な比喩を使って説明するが効果的です。
たとえば、河の流れが血流だとします。
血管の破綻とは堤防(血管壁)が決壊することです。
そして、堤防が決壊した場所に土嚢(血管の破綻で言えば血液の成分の一つである血小板)を積み上げて応急的に洪水を防ぐのが一次止血です。
ただ、それだけでは強度が弱いので、土嚢の周りに金網(血液の成分で言えばフィブリン)をかけて補強するのが二次止血です。
このとき、金網自体の数が少なかったり、金網の素材が劣悪だったりすると二次止血は十分にはたらきません。
そして、金網の素材を決めるのが凝固因子です。
ですから、凝固因子の量が不足していたり、その凝固因子の活性が低下したりしていれば、二次止血は上手く働かず、血が止まりにくくなるのです。
このように、血管が破綻し易いということと、破綻して血が止まりにくい、つまり、凝固系の活性低下とは全く別物なのです。
このように医療側からすれば分かりきった概念であっても、比喩などを使って丁寧に説明する必要があります。
未知の医療現場は試行錯誤の連続
三つ目に留意すべき点は、医療は科学であり、未知の事柄が沢山ある世界ですから、試行錯誤の世界だということを理解してもらう必要があります。
例えば、時間的に余裕のない切迫した病状のとき、あるいは従前の治療方法では十分な効果を期待できないときなどは、従前から行われている一般的な治療方法とは異なる治療方法を行ってみたり、時には医薬品添付文書とは異なる処方をしてみたりするなど、様々なことを試してみることが患者さんにとって利益になり、また、それこそが患者の意思に沿うこともあります。
ところが、法律の世界では、「医療水準」という言葉が過剰に一人歩きすることがあります。
そのため「一般的」な医療文献や医薬品添付文書と異なる治療をして患者さんが死亡したりすると、医療過誤として扱われることが多いのです。
このような時は、どうして一般的な医療文献等と異なる治療をする必要があったのか、その「合理性」については医療側が説明しなければなりません。
そして、この説明をより一層分かり易く丁寧に説明することが、理解のために重要なのです。
医療訴訟でお困りの医療従事者の方や患者さんは、ぜひ一度、ご相談ください。